7/15
メール・ド・グラス(ガラスの海)

ここシャモニーに着いた頃2度ほど訪れたモンタンベールの氷河「メール・ド・グラス」へ、土砂崩れで運休していた登山電車が動きだしたので3たびの訪問となりました。
モンタンベールからは専用のゴンドラと階段を使い氷河に降り立ち、氷の中に作られた回廊を見てまわりました。「ガラスの海」の名のとおり完全に青く透き通っていて、数千年も前に降った雪が固まってできた氷だと思うと凄く神秘的に思えました。
降りる階段の途中に1990当時の氷河表面の高さを示した標識がありましたが、それよりも今は40mも低くなっています。たしかに30年前に「エギュイユ・ド・ミディ」からここまでスキーで滑った時にはもっともっと氷河の表面が高かった記憶があるのですが、やはりかなりのスピードで氷河がやせ細っているようです。
それでも一日に25cmのスピードで流れているとのこと、階段の途中から掛けられた可動通路がかなり下流の方に移動していましたよ。

  

     モンタンベールから
開業100年を超えた標高1900mにある登山電車のモンタンベール駅舎、
左上の後方に頭を見せているのは三大北壁の一つとして名高い「グランド・ジュラス」の山頂です。


  
      青氷の氷河の中の回廊

日本人の見分け
シャモニーやツェルマットの町を歩いていると世界各国からいろいろな人達が集まって来ています。東洋人の90%以上は日本人と思って間違いないでしょう、顔つきを見れば私たち日本人からは中国人、韓国人、それに東南アジア人は概ね区別が付きます。
勿論西洋人とは体型が違うのですが、遠くからでも日本人グループだとわかるものです、
それは・・。
まず、日本人はほとんど全員と言っていいほど小型のリュックサックを背負っています。さらに女性は全員つばのある帽子をかぶり、長袖のシャツに長ズボン、半数以上が夏だというのに手袋を付けています。日焼け対策はバッチリ、これが日本人です。
それにメガネをして、一眼レフ型のデジカメをぶら下げている人が多いてすね。
これに対して西洋人は女性でも袖無しと半ズボン、無帽で歩く人がほとんど、北海道よりはるか北に位置するこの国では西洋人にとって日照が殊のほか恋しいのでしょう。
レストランのテラスでは日本人は日陰に、西洋人は日の当たる場所に集まります。
例外的に、幅広の帽子(マイフェアレディの主人公のような)、袖無しでひらひらのスカート姿の、まるでファッション雑誌から抜け出たような後期中年女性をシャモニーでたった一人だけ見かけましたが・・・。
もうひとつ、西洋人は老若を問わずに男女が手をつないで歩いていますが、日本人男女のこのような光景は見た事がありません。

7/16
イタリアのクールマイヨールヘ

19日にシャモニーからゴンドラを乗り継いでイタリアのクールマイヨールまで国境越えツァーの予定が入りました。国境のエル・ブロンネまでは一カ月前(6/14)に下見済み、残るイタリア側を下見するために車を借りてモンブラン・トンネルを通りイタリヤ側へ、昔は国境を越えるたびにバスポート・チェックがあったのが、EU発足以来全く自由に往来できて、ほとんど県境越えの雰囲気です。
モンブラン・トンネルを出るとすぐにクールマイヨール側のラ・パリューのゴンドラ乗り場の駐車場、ゴンドラ乗り場からまず2173mのモン・フレティで乗り換え、さらに3375mのトリノ小屋からは小さなゴンドラで3462mのエル・ブロンネに到着。
エル・ブロンネの展望台からは雲の流れが速いためにいずれも一瞬でしたがノアール、モンブラン、ドリュー、ヴェルテ、グランドジュラス、ダン・ドゥ・ジュアン(巨人の歯)、それにモン・セルバン(マッターホルン)も見えました。残念ながら写真は一枚も撮れず仕舞です。
帰る途中でモン・フレティ駅に隣接する世界の高山植物ばかりを集めた植物園を散策して、再度モンブラン・トンネルを通りシャモニーニ戻ってきました。
30
年ぶりのイタリア側の(極めて個人的な)印象ですが、3本乗り継いだゴドラは、フランス側の物と比べていずれも古くて小さなゴンドラでした、安全性には問題ないようですけど。それと、途中駅のトイレが男女、大小を問わず日本式トイレと同じ形式だったのに驚きました、特殊な設置条件の為でしょうか?
それともう一つ、イタリア側のゴンドラ・スタッフや店員の大変に明るいこと、やはりイタリア人気質でしょう、すぐに話しかけて来て(初めは片言の日本語、そして英語でコミュニケーション)ゴンドラを降りる頃には握手して別れるほどでした。

  
   イタリア側、モン・フレティの高山植物園の花、入場無料です
7/17
ツェルマットに移動

明日のゴルナグラード・ガイドのため、今日中にツェルマットに車で移動することになりました。初めて運転するフィアットでしたが、結構キビキビと走る車でしたよ。
少し早く着いたので、先日シュテリ湖近くで見つけたエーデルワイスの咲き始めている場所を確認、GPSに位置を記録してホテルに戻ってきて、明日ガイドをするグループが到着するのを待ち、添乗員とスケジュールの確認を済ませました。
ホテルの隣のレストランで食事をしていたら、側らにいたチューリッヒからの男性二人と意気統合、ヒマラヤにも登った事があるそうでワインを飲みながら歓談の時を過ごしました、彼らは明日から2週間の予定でイタリアのアオスタに移動して登山を楽しむそうです。一泊ずつで移動して行く日本人と時間の使い方が全く違う事をまたまた思い知らされました。

  
      自然に咲き始めたエーデルワイス
7/18
最高の天候状況の中、ゴルナグラードとリッフェルゼーをガイド
今日は日照が強くなる予報ですが朝から全天の曇り空、2000mから上は完全に雲に覆われています。こんな日がツアー客にとっては最高です。先月の22日と全く同じ状況の再来気配です。
朝から完全に晴れていると、登山電車に乗った時からズーとマッターホルンが見えていて、「見えるのが当たり前」と思ってしまって、登山電車が高度を上げるにつれ4000m級の山々が次々と見えだしても感激も今一つなのです。
でも今日は全ての山がまだ隠れています。2200mのリッフェルアルプに来てもまだ列車は雲の中で、周りのマーモットのお出迎えに少しだけ感動していたところでした。
ところが2500m地点で電車は急に雲の上に出たのです、朝の雲が薄かったので私の予想通りです。雲海の上に突きだした4000m級の山が一度に見え始めると列車の中から歓声と拍手の嵐でした。
ローテンボーテンを過ぎてブライトホルン、リスカム、モンテローザなどが次々に見えだすので、終点のゴルナグラード駅についても皆さんの興奮がなかなか集まる気配がなく、点呼を取るにもバラバラです。「今日は大丈夫ですよ、今は団体行動をお願いします」と声を掛けても「雲に隠れる前に早く写真を撮らなくては!!」と皆さん凄く焦っています。
ようやく落ち着かせてから展望台に誘導、ヨーロッパ・アルプスの4000m38座の内29座が目の前にあるので、ひと通り山々の紹介をしてから自由行動の時間となりました。
今日は予報どおり雲が全く無くて、皆さんハイキングも十分楽しめたようです。中には「これで、いつ死んでも思い残すことは有りません!!」などと興奮したままの方もおりました、でも十分に永生きしそうな人でしたけど・・・。
明日のイタリア国境越えツアーの為に、皆さんと別れてすぐに、またシャモニーに戻って来ました。
7/19
イタリア国境越えツアー
9時にシャモニーのゴンドラ乗り場でイタリア側からバスでモンブラン・トンネルを通って来た25人のグループに合流、いつにも増して駅は混雑していましたが、早目に整理券をゲットしていたのであまり待つ事もなく2本乗り継いでエギュイユ・ド・ミデイへ、今日も雲ひとつない快晴で全ての山がクッキリと見えています。
さらにバレ・ブランシュ氷河の上をゴンドラで渡り、国境にあるエル・ブロンネに行ってやっと混雑から解放されましたが、この展望台にもいつもより大勢の観光客がいました。
展望台からはモンブランだけでなくダン・ドゥ・ジュアン(巨人の歯)やグラランドジュラス等が間近に見え、さらに遠くに70Km先のモンテローザやモン・セルバン(ドイツ語名マッターホルン)が良く見えています。
展望台は国境線上にあるため、表示されている白い国境線を越える度に「ボン・ジュール」、「ボン・ジョルノ」と、また山の名前を「セルバン(Celvin)」、「チェルビーノ(Celvino)」と言い換えたりしながら景色を楽しみました。
イタリア側の終点プリューで皆さんのバスを見送った後は、初めてのヒッチハイクでフランスに戻ろうとしましたが、なかなか車が止まってくれません。モン・ブラン・トンネル近くで約40分ねばってやっとベルギー人4の人家族の車が乗せてくれました。
幸いにも英語が良く通じたので、かわいい男女の子供たちとも打ち解け会い、シャモニー側のロータリーまで乗せていただきました。ありがとうございました。
今日のシャモニーは暑い、シャワーを浴びて早目に昼寝タイム、明日はまたツェルマットに行く予定です。
7/20
ツェルマット・ゴルナグラードをガイド

朝早く車でツェルマットに向かい、いつものゴルナグラード、リッフェルゼーのコースをガイドしてきたので、特段変わったことも無く無事に過ぎた一日でした。雲一つない好天に恵まれ、ツアーグループの方達は大満足だったようです。
ただ今日も暑い!!、朝夕は涼しかったものの、帰る途中シオンからマルチーニ辺りを走行していたら外気温計がナント35
を示しています。シャモニーに着くや否やすぐに冷蔵庫で冷やしておいたハイネケンを一気に飲み干しました。樺太と同じ緯度にあるのに、やはり夏は暑いのですね。
ただ、夏至を過ぎてから目に見えて同時刻の陰が長くなっているのが分かります。
銚子を出港して本州一周をしている「ハーミット」のNSさんが若狭湾に達したようです、これからも静かな日本海のクルージングを十分に楽しんでください。

      

     夕日に映えるモンブランにかかる上弦の月

7/21
今日から休養日
26日までは特にガイドの予定がなく、しばらく休養期間となりました。
朝、フィアット・パンダの修理のため30Kmほど離れたサランシュの町の自動車修理工場に行きました。
修理状況を間近で見ていましたが、部品を外すのに、また組み立てるのにかなり手間がかかっています。元シトロエンで永い事働いていたという工員と会話すると、ここで主に扱っているトヨタの車と比べても「ヨーロッパの車は修理の為を考えて作られていない」との事、我々がかつて使っていた言葉で言うと「メンテナンス・アビリティーが無い(悪い)」とでも言うのでしょうか。確かに細かな部品の形状を見ると修理が必要な時に不便そうな形状をしています。
ヨーロッパを走るトヨタ車は主にフランス国内の工場で生産されていて、さらに南アフリカ、ベルギー製があるそうですよ。
フランスの自動車メーカーは「シトロエン」、「プジョー」、「ルノー」の3社があるのですが、シトロエンとプジョーはすでに合併していて、彼の弁によればこのままで行くと10年以内にフランスには自動車メーカーは一社になるだろうとの事です。
「デザインド・イン・ジャパン」の「メイド・イン・フランス」が今後はばを効かせて行くのでしょうか?
そういえば私の使っているデジカメは日本のメーカーの物ですが、背面には「MADE IN CHINA」の文字が刻まれています、今では多くの物が日本意匠でも日本国外で生産されているようです。
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